Nohmu

やりたいことはやるべきこと。です。

常識

年功序列」「終身雇用」

 

昭和の日本は敗戦から、

 

この2つを軸に、著しい成長を遂げてきた。

 

高度経済成長の日本の経済成長は

 

「東洋の奇跡」と呼ばれるほどだ。

 

しかし、その常識も

 

いまは剥がれかけていて、

 

終わりを告げようとしている。

 

そう。

 

いまはいままでの非常識が

 

常識へと変わる変革期なのだ。

 

その常識を、変えた媒体がインターネット。

 

その存在が時代に変化をもたらし、

 

変化のスピードを急加速させている。

 

そして、みなはその変化に

 

ついてきているだろうか。

 

今、その変革期にある中で

 

あなたは古い考えに縛られていないだろうか。

 

これからは仕事のあり方も変わってくる。

 

年功序列」「終身雇用」

 

なんて言葉はあと数年後には

 

古い常識になってしまうだろう。

 

そして、新しい常識が構築される。

 

変化のスピードについてこれず、

 

昔の時代を懐かしんでるようでは

 

成長は見込めない。

 

もっと常識を疑え。

 

常識は変わっていくものだ。

 

江戸から明治に移り、

 

日本のすべてが変わった。

 

戦争を経て、昭和を経て

 

世界も変わり、日本も変わった。

 

今年で平成が終わる。

 

今こそ、新たな常識への扉を開く時である。

 

 

1歩目

 

歩き出すことを、決めた僕は

 

まず、本屋に行った。

 

僕の家系は、おじいさん、お父さん、

いとこ、兄、みな、公務員である。

 

我が家は安定志向で、保守的であった。

 

そんな家庭で育ったこともあり、

 

輪を乱そうとするもの、空気を読めないもの、

 

常識外れなものは、自然と嫌がるようになっていた。

 

その日も、興味ありそうな小説を買おう。

 

本の世界に触れよう。と思っていた。

 

小説が置いてある棚に向かう。

 

すると、

 

その少し手前の棚に、自己啓発本のようなものが置いてあった。

 

普段、嫌気がさし、手にもとらないような本ばかりだった。

 

だが

 

なぜだろう。その日はその本たちに

 

嫌気がさしながら、惹かれてしまったのだ。

 

一冊の本を手に取り、

 

目次をペラペラと開き、最初の書き出しを読んだ時、

 

買うことを決めた。

 

その本は、堀江貴文さんの「本音で生きる」。

 

その本を一日で読み終えた。

 

いままで、嫌気がさしていたものは

 

ぼくの考えを根底から覆えにきた。

 

「24時間好きなことだけをしろ」

「我慢するやつはバカだ」

「未来のことなんてどうでもいい」

 

言ってることはまるで小学生のようだ。

 

そう。小学生のよう。

 

そこに、ひとつ。

 

印象に残る文があった。

 

「人の時間を過ごすな。好きなことをしろ

もし、好きなことがないのなら、まだまだ世の中を知らない証拠である。ものはありふれてる。いろんな考えに触れて、刺激を求めよう。」

 

今は、インターネットひとつで

 

なんでも調べられる。

 

だからこそ、情報に希少価値がなく

 

みな、ネットの情報を軽視しがちだ。

 

もし、好きなことがないなら

 

外に1歩踏み出して、

 

普段、やらないこと、行かないところを

 

行ってみてはどうだろうか。

 

それについて、ネットで

 

調べてみてはどうだろうか。

 

美術館、ミュージカル、クラシック音楽

 

まだまだたくさんある。

 

大学生だから場違い。

 

そんなことはもう遅い。

 

年齢なんて気にせず、目の前を

 

1日も彩ろう。

 

 

 

 

 

 

 

童心

小さい頃、僕は現在21歳なので、10年ほど前。

 

よく日曜洋画劇場ではSF映画がやっていた。

 

代表的なものでは「スターウォーズ」「ガタカ」「マトリックス」。

 

その時から僕は、日本のテレビドラマ、邦画にはほぼ無関心でいつもいつも洋画ばかりを見ていた。

 

随分とマセている10歳だったと思う。

 

好きな映画はヒューマンドラマとミュージカル。

 

スタンド・バイ・ミー」「ショーシャンクの空に」「レ・ミゼラブル」に育てられた。

 

そう。

 

その時の僕は、どんなメガヒットSF映画をひとつも見たことがなかったのだ。

 

一切興味を示さないのだ。

 

なぜだろう。

 

多分、10歳の僕にはどーでもよかったのだ。

 

未来の話なんか知らなくてもいい。

 

そう思っていたと思う。

 

その時の僕は、毎日が希望に溢れていた。

 

どんなに遠くても、友達の家に自転車で向かい、

 

時には、カブトムシを捕まえたあと、片道1時間かけて海に出かけるほどだ。

 

楽しいことで溢れていた。

 

そう。毎日を、一分一秒を、必死に生きていたのだ。

 

そうゆう人をカッコイイと思っていた。

 

そして、それを実現していた。

 

そんな、10歳の夏。

 

 

 

 

そして、いま時代は急速に変化している。

 

スマホ、インターネット。

 

情報に置いていかれないよう必死だ。

 

大学生3年の秋。

 

周りは就職、インターン

 

終電の逃さないために走る人のように急ぎ、

 

義務感を正当化して、取り繕っている。

 

僕は動けなかった。このまま置いていかれないだろうか。不安だった。

 

 

 

 

そんな中、思い出した少年の頃の風景。

 

毎日に必死だったあの日。

 

いつもそこにはワクワクと必死さがあった。

 

それは懐かしく、同時に失っている感情だった。

 

蘇ってきた。

 

未来なんてどうでもいい。

 

好きなことを好きなだけやって行こう。

 

それでいいのだ。

 

僕を助けてくれた恩人は

 

10歳の頃の自分自身で

 

10歳の頃の僕は

 

今の僕よりも、生きていたのだ。

 

そう今を生きることに必死だったのだ。

 

1歩を歩みだすことを決めた。